2015年7月31日金曜日

2020年東京オリンピック エンブレム使用中止 ロゴ 酷似 盗用 パクリ疑惑 佐野研二郎


2020年東京五輪のエンブレム(ロゴ)について、ベルギー東部・リエージュにある劇場のロゴをデザインしたオリビエ・ドゥビさんが「自分の作品に似ている」と主張。自身のツイッターなどで2つのデザインを並べた画像を載せ、「びっくりした」とコメントしている。




ベルギーの劇場ロゴデザイン












震災復興デザイン
スペインのデザイン事務所

東日本大震災の際にスペインのデザイン事務所が手がけたロゴとも、色が似ている。





両方合わせると2020年東京オリンピック エンブレム?

公募104点の中から選ばれたアートディレクターの佐野 研二郎氏の作品

佐野 研二郎氏は「劇場のロゴは知らなかった。参考にしたこともない」と盗用を否定した。











東京五輪承知の際に使用されたロゴ 

カラフルで日本をイメージした桜がいい!
このロゴでは絶対駄目なのか。






デザイン界は今回の騒動をどう見るか。国際的にも活動する関係者は、日刊スポーツの取材に、「変えられないと突っ走ったとしても、わだかまりを持つ人が1人でもいるデザインが、平和の祭典と呼ばれる五輪のエンブレムにふさわしいのだろうか」と指摘した。


 「ベルギーは、芸術へのモラルを重んじる国。デザイナーや劇場には、一線を越えているという意識があるのだろう」と話す。五輪の公式エンブレムであり、裁判になっても「佐野氏が負けることはないだろう」と述べる一方、「ごり押しすれば、ダーティーなイメージが残る。デザインを選んだ審査員も含め、日本全体の責任といわれる可能性もある」と懸念を示した。

この報道に、欧米のネットユーザーがコメントを寄せている。

「だからどうした?オリンピックなんて終わって3週間も経てば、みんな覚えていないよ」

「相手のデザインが商標登録されていなければ、盗作してもいいということか?」

「2つのデザインはそっくりだというのに、どうして根拠がない指摘だなんて言えるんだ?」

「なぜ、前のデザインをそのまま使わないんだ?あのデザインの方がかっこいいのに。今回のデザインはオリンピックには合わないよ。ちょっとシリアスな雰囲気だ。だから劇場にぴったりだ!」

「つまらないデザインだから、変えた方がいいよ。新国立競技場といい、エンブレムといい、東京五輪の計画はガタガタだな」

「『相手のロゴは商標登録されていない』という発言は、2つのデザインは同じだと認めているというようなものだ」

「この問題について偏見を持たずに考えてみようと思ったが、2つは似ているのではなく、そっくりだよ。正直言って、偶然だとは考えられない」


東京オリンピック エンブレム ロゴ 酷似 盗用 パクリ疑惑 盗作









佐野 研二郎:http://www.mr-design.jp/

【画像まとめ】アウト?セーフ?佐野研二郎、疑惑のデザイン一覧

佐野研二郎氏のデザイン盗用疑惑

 ドラゴンボールのレッドリボン軍(鳥山 明)(上)とトヨタのリボーン(下)
海外デザイナーのマグカップ(上)と佐野研二郎氏のマグカップ(下)






















佐野研二郎のスイカ
(2015年 サントリー夏トートバッグ プレゼント





能登健一のスイカ (2013年以前)



















佐野研二郎(2015年 サントリー夏トートバッグ プレゼント) 




セカンドライフ























































ネット上から消えない「パクリ常習」という不名誉な称号 (日刊ゲンダイ)

佐野研二郎 疑惑のデザイン一覧表 アウト?セーフ?ヨヨイノヨイ!

佐野氏のバッグ、一部取り下げ=五輪エンブレム制作者―サントリービール
(時事通信 2015年8月13日(木)21時0分配信)

 サントリービールは13日、商品購入のキャンペーン賞品として、2020年東京五輪・パラリンピックのエンブレムを制作した佐野研二郎氏がデザインしたトートバッグ30種類のうち、8種類を取り下げ、発送を中止すると発表した。佐野氏から取り下げの申し出があったため。

 この賞品のデザインをめぐってはインターネット上で「他の作品と似ている」などとの指摘が出ていた。キャンペーンは、残り22種類を対象に期限である8月末まで続ける。

 佐野氏側は13日、ホームページに「サントリーオールフリー トートバッグの件について」という文書を掲載した。その中で、サントリー側にも問い合わせが寄せられている状況などを踏まえ「いくつかのデザインについての取り下げをお願いした」と説明。デザインについては「身近にあるアイデアや素材をモチーフにしたものだが、現在専門家を交えて、事実関係等の調査・検討を開始している」としている。

<デザイナーが「第三者のデザインをトレース」 佐野氏事務所が盗用認めて謝罪>
J-CASTニュース 2015年8月15日(土)6時31分配信

 佐野研二郎氏(43)が、デザインしたトートバックの一部について配布を取り下げた問題で、佐野氏は2015年8月14日深夜、発注先のデザイナーによる盗用を認めた。事務所のウェブサイトで発表し、自らの管理責任について陳謝した。過去の他の作品や東京五輪・パラリンピックの公式エンブレムについては、引き続き盗用を否定している。

佐野研二郎氏がつくった空港でのイメージ図 これもパクリ 写真盗用
町中の画像のほうはネット上にある2枚の画像を合成したもの これも盗用






佐野氏デザインまた「酷似」 京都の老舗、ブログから削除
京都新聞 2015年9月2日(水)

佐野氏が2012年に雑誌に発表したデザイン(京扇堂)と、秋田県横手市で2012年に行われた団扇展のチラシ        

(佐野研二郎パクり 左)

(元ネタ右)   

           








2020年東京五輪・パラリンピック公式エンブレムの撤回を受け、扇子製造販売老舗の京扇堂(京都市下京区)は2日、エンブレムを制作したデザイナーの佐野研二郎氏が2012年5月に雑誌で発表した社名入りのデザインに転用の疑いがあるとして、ホームページのブログから削除することを決めた。

 このデザインに似ているのが秋田県横手市で12年6月にあった団扇(うちわ)展の宣伝チラシ。主催した横手駅前商店街振興組合によると、チラシは雑誌発売前の5月から公開していたといい、「似ていて驚いた」という。

佐野研二郎が横手市のイベント『団扇展』のポスターを佐野る

多摩美術大学広告ポスター「MADE BY HANDS.」のパクリ疑惑
人間の手をモチーフにさまざまなデザインと組み合わせてシリーズ化されている。佐野研二郎が代表を務めるデザイン会社「ミスターデザイン」に所属し、大学の後輩でもあるデザイナーとともに制作したもので、ニューヨークADC金賞、ロンドンD&AD金賞など、さまざまな広告賞を受賞しているという。

 HPでは100種類近いデザインが紹介されている中、盗用疑惑が上がっているのは犬の影絵のポスター。影絵の部分が、約5年前に書かれた個人ブログに掲載されている犬を作った両手の写真をシルエットにしたものと酷似していると指摘されている。

 また、右手でメガネをつまむようにしているポスターのメガネが、メガネ量販店「Zoff」の商品を紹介する2012年2月のネット記事の写真を盗用したもので、フレームに書かれた文字を消して使用しているとの指摘も。ユーザーから「写真が使われているのではないか」との問い合わせがあったというサイト運営者は「現在までに多摩美術大学および佐野研二郎氏からの連絡は来ておりません」としている。

エンブレム使用中止を決定!
佐野氏、資料写真の流用認める=東京五輪エンブレム
<時事通信 2015年9月1日(火)>

 東京五輪組織委の武藤事務総長は1日の記者会見で、佐野研二郎氏が提出したエンブレムの活用例の写真について、個人サイトから無断で流用していたことを佐野氏本人が認めたと説明した。

武藤敏郎事務総長はエンブレム使用中止決定について「国民の理解を得られなくなった」と説明。

佐野 研二郎(さの けんじろう、1972年7月29日生まれ ):
東京都出身のグラフィックデザイナー、アートディレクター、クリエイティブディレクター(多摩美術大学グラフィックデザイン科卒業)。多摩美術大学統合デザイン学科教授。

2015年7月、佐野の応募作が2020年夏季オリンピック東京大会・パラリンピック東京大会の公式エンブレムに選出された。その選出過程や応募作のオリジナリティの有無が物議を醸し、9月1日に組織委員会はエンブレム使用の中止を決めた。

自らをデザイン変更した佐野研二郎(多摩美術大学教授)の現在の風貌
(2016年)


佐野る(さの-る):2015年にインターネット上で誕生した造語(インターネットミーム)の動詞である。
意味は「盗作する」「その場しのぎの言い訳をする」といったところ。類義語に「アサヒる」があるが、こちらは専ら捏造について使われる。

佐野る(さの•る)【動】
他人の発表したデザイン、意匠の全部若しくは一部を、自らのオリジナル作品と称して発表すること。
類義語に「小保方る」、「佐村河内る」

「アサヒる」:嘘をつくこと、ありもしない事実無根なことを実在するかのようにもっともらしく捏造して伝えること、デッチ上げ、あるいは曲解で無から何かを作り出し事実だと主張することです。 「アサヒった」「アサヒるな」 などのようにして使います。
2007年9月末から急激に流行し、2007年12月14日の 「ネット流行語大賞」 では 「アサヒる」 が流行語大賞金賞を受賞、「現代用語の基礎知識 2008」 にも 「アサヒる」 は収録されています。

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2015年7月16日木曜日

水木しげるロード(境港)散策と大山(伯耆富士)

水木しげるロード(境港)散策と大山(伯耆富士)

2015年7月、大好きな水木しげるの妖怪たちのブロンズ像を見るために境港市へ行った。それに長年の夢だったJR伯備線に乗って大山(伯耆富士)をみることも実現できた。大山(だいせん)は鳥取県にある標高1,729mの火山で中国地方 の最高峰である。

本当に久しぶりにJRローカル線の旅を楽しんだ。岡山までは新幹線だがそこから特急「やくも」に乗って伯備線で米子へ行き、そこからは単線の境線で境港駅(愛称は鬼太郎駅)に到着した。さかなと妖怪にあえる駅、境港

正確にいうと、岡山から山陽本線で倉敷、倉敷から伯備線で伯耆大山、そこから山陰本線で米子駅下車。、米子からは単線の境線で境港駅である。山陽本線と山陰本線を通ったことになる。

米子から弓ヶ浜半島を行く境線は「ねこ娘列車」と「鬼太郎列車」が連結された2両編成であった。列車の窓から見ると周りは砂山さえもない平らな砂地でネギなどが植えられている。ワンマン運転で駅名などの自動放送の声は「ねこ娘」の声まねだ。

「ねこ娘」は好きだが可愛い猫というより、おとなしい女に見えるが「猫かぶり」でいざとなると化け猫に変身するから苦手である。美人の猫にはちょっと興味があった。子供の時に見たTVシリーズ「バットマン」に出てくる「キャットウーマン」が一番好きだった。

水木しげるは境港出身で駅前からの水木しげるロード(全長800m)両側には妖怪ブロンズ像が150体以上配置されており一つ一つ見ていくと懐かしく楽しい。ちょっと像が小さいのが残念であった。

演芸のネタにしている「口裂け女」の像もしっかりと鑑賞してきた。「帰ってきた口裂け女」という歌まで作ったのに今はお蔵入りである。

「ゲゲゲの鬼太郎」のファンで昭和ロマンを楽しむ会でも当然TVアニメの主題歌を歌っている。この主題歌のメロディも街のところどころで流れていた。いまの子供たちは鉄腕アトムより「ゲゲゲの鬼太郎」の歌の方をよく知っている。

妖怪を写真付きで紹介している妖怪ガイドブックを120円で買った。妖怪スタンプラリーの台帳にもなっていてお店の前に置いてある37個のスタンプを集めると完走証がもらえると聞き小学生のように闘争心に火がついてしまった。平日であったが妖怪めぐりをしている観光客も結構いた。ねこ娘やねずみ男のぬいぐるみも現れて握手したり記念撮影に参加したりしていた。暑いのに大変なお仕事だ。

7月の暑い中、やっと集めて駅前のみなとさかい交流館にある観光案内所へ持っていった。直ぐもらえるとおもったら、女性職員はなんと全ページをチェックし始めた。1個だけ押し忘れが発覚して再度暑い街に出て最後のスタンプを押して完走証をゲットした。







なんと妖怪の街のシンボルとして駅前交番が「鬼太郎交番」になっていて交番の前に最後のスタンプが置いてあった。お巡りさんが押してくれればいい思い出になったであろうがそんなことはありえない。

「鬼太郎交番」の看板には目玉おやじの照明が付いていた。









伯備線の旅も今回の目的であった。伯備線(はくびせん)は山陽地方と山陰地方とを結ぶ連絡路線であり、中国山脈を越えて岡山県と鳥取県を結んでいる。岡山駅で伯備線ホームは見ていてあれに乗れば山越えして鳥取西部へ行けるとは思っていたが見るだけであった。

岡山側は南へ流れる高梁(たかはし)川の渓谷を眺めながら中国山地を登っていく。特急「やくも」途中停車駅は、倉敷、備中高梁、新見である。この辺りは石灰岩が取れるようで砕石場や大きな工場が谷間に散見された。谷田峠トンネルを抜けると鳥取県である。列車の動力音も小さくなり下り坂であることが体感できた。

ここからは北に流れる日野川に沿って列車は進んでいく。水量豊富できれいな川であった。鳥取県側の途中停車駅は根雨または生山である。曲線と急勾配が多く渓谷を眺めていると飽きない。

伯耆溝口駅あたりで大きな鬼の像が見えた。このあたりから東に大山が見え始める。大きな川幅の日野川になり米子平野になり始めた岸本駅から伯耆大山駅で大山がよく見えた。またちょうど水田の稲もきれいであった。大山が見え始めるとあっというまに米子駅であった。

確かに初めてみた大山(伯耆富士)は雄大で美しい。高い山なので雲がかかったりしてどんどん景色は変化していく。帰りの列車で見たほうがきれいだった。

伯耆大山を見て育った学生時代の友人が話してくれた大山をどうしても見てみたかったがかなわなかった。手遅れとなってしまったがやっと眺めることができた。時代は変わっても自然は美しい。

   「誰とみる 青い大山」 「どこで見る 同じ大山」


伯耆町 岸本町 米子市 境港市 大山

2015年6月11日木曜日

父の満州での軍隊生活 (8) 歩兵砲

父の満州での軍隊生活 (8)  歩兵砲

帝国陸軍の歩兵大隊には歩兵砲隊や機関銃中隊などがあり父もこれらの部隊に所属したこともあったようだ。歩兵の野戦訓練では戦車、歩兵砲、重機関銃などを用いて総合的な訓練が行われておりその写真も残っていた。

九二式重機関銃がある写真を探したがなぜか見つからなかった。今回は歩兵砲を取り上げたい。父は奉天甲種幹部候補生隊へ入隊して歩兵砲隊に編入したようである。

九二式歩兵砲は、大日本帝国陸軍の歩兵砲で終戦までに約3000門製造されたらしい。1個歩兵大隊に対し本砲2門を擁する大隊砲小隊が付随するために「大隊砲(大隊歩兵砲)」の通称がある。(砲口径70mm、砲身長790mm、砲重量204kg、最大射程距離2,800m)
写真の歩兵砲は一枚物鋼鈑製の車輪。

あまり命中精度が良くないので通称「大隊砲」を「だいたい(大体)砲」といったらしい。おおよそ当たるという意味か。

「八八式」と記載されてある木箱の中身は砲弾の信管のようだ。ネットで調べると、八八式信管は、昭和4年に内令兵37号により兵器採用された口径12~10糎砲通常弾用の弾頭着発信管。そして、昭和18年には大口径砲用の零式通常弾にも用いられた。

今見ればおもちゃのような歩兵砲であるが砲本体は204kgもある。移動時は駄馬1頭で牽引するか、歩兵10人で分解して担いで移動することも可能だったそうである。もちろん戦場まではトラック等に載せて移動するのであろう。

写真では歩兵砲を6人がかりで草原を引っ張って移動している。弾丸は別途運搬する必要がある。
写真は九二式歩兵砲の砲弾であるが、「弾薬は5発入りの弾薬箱に収められ重量は30kgあり、兵士1人が1箱を担いで運ぶか駄馬1頭で4箱を運んだ」とある。兵隊さんが30kgの弾薬箱を背負って行っても5発しか撃てないとは!20名の歩兵が弾薬箱を運んでやっと100発歩兵砲が撃てるわけだ。





九二式重機関銃だって一分間に何百発撃てるといっても実際には長期間連続しては射撃できないと思う。銃弾をすべて人力で担いで銃座まで持ってくるところがボトルネックになってしまうだろう。

現代は農業、工場、サービス業などあらゆる分野が機械化、コンピュータ化されていることを思うと昔は戦争を含めすべて人に頼っていたんだなあと実感した。もちろん米軍の歩兵は機械化されていたのだろう。


軍隊 満州 陸軍 歩兵 教育 訓練 訓育