2013年7月24日水曜日

千葉 景子 辛光洙釈放署名をした元法務大臣 民主党 


千葉 景子(ちば けいこ、1948年 - ) 日本の弁護士、政治家。
参議院議員(4期)、日本社会党副書記長、社会民主党副党首、民主党総務委員長、法務大臣(第83・84代)などを歴任した。法務大臣時代、民主党政権として初めて死刑の命令を下し、2人を執行した。
<落選した議員が法務大臣>
2009年(平成21年)9月に法務大臣に就任。落選から68日後の2010年9月17日に菅内閣改造内閣発足に伴って退任し、選挙に落選して国会議員資格を失った民間人閣僚としては49日間在任した。
「民間人の閣僚起用は、政治家以外の『知恵』を生かすため。落選議員を大臣で“救済”するのは論外」

<辛光洙釈放署名問題>
在日韓国人政治犯釈放の要望書に署名。この中には北朝鮮による日本人拉致問題の実行犯である、辛光洙を始めとする北朝鮮スパイ容疑者10名が含まれていた。

署名者:千葉 景子、菅直人、江田五月、土井たか子 等

社会党〜社民党時代
弁護士活動を通じて日本社会党と関係が生まれ、1986年(昭和61年)、第14回参議院議員通常選挙に社会党公認で神奈川選挙区から立候補し初当選。以後、社会党議員として4回当選。
社会党副書記長、社会民主党副党首などを歴任。
1997年(平成9年)1月に社民党を離党、民主党に入党。社会党時代から続く神奈川県の自治労や連合の支持を引き続け受け、複数回当選を果たす。民主党・新緑風会副会長、党広報委員長を歴任。

2009年(平成21年)9月16日発足の鳩山由紀夫内閣にて法務大臣に就任。「死刑廃止を推進する議員連盟」に所属する議員が死刑執行命令を出す法務大臣に就任

<落選と大臣続投>
2010年(平成22年)6月8日発足の菅内閣で法務大臣に再任。
同年7月11日に投開票が行われた第22回参議院議員通常選挙に現職の大臣として臨むが落選した。首相の菅直人は民間人として引き続き閣僚に留め、野党からは選挙で示された民意を無視しているとの批判を浴びた。『産経新聞』も社説「主張」にて同趣旨の批判をおこなった。政治学者の高瀬淳一は、「民間人の閣僚起用は、政治家以外の『知恵』を生かすためだ。落選議員を大臣で“救済”するのは論外」と指摘している。

2013年7月23日火曜日

岡崎 トミ子(おかざき とみこ) 元参議院議員 民主党

2003年2月に大韓民国の日本大使館前で行われた反日デモに参加し×印をつけた日の丸国旗の前で演説した。
 また、北朝鮮が韓国延坪島へ砲撃(延坪島砲撃事件)した際に即日警察庁へ登庁しなかった。


民主党所属の前参議院議員(3期)。民主党副代表。 衆議院議員(2期)、参議院総務委員長、参議院災害対策特別委員長、国家公安委員会委員長(第83代)、内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画)を歴任した。
1990年、東北放送を退社。第39回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧宮城県第1区から出馬し、初当選。
1993年の第40回衆議院議員総選挙で再選。1996年、社会党解党に伴い、事実上の後継政党である社会民主党結党に参加したが、間もなく離党。
1997年、参議院宮城県選挙区補欠選挙に出馬し、参院で初当選2001年、第19回参議院議員通常選挙で再選。2004年9月、民主党副代表に就任。2007年7月、第21回参議院議員通常選挙で3選。
2010年9月、菅改造内閣で国家公安委員会委員長(内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全・少子化対策・男女共同参画)を兼務)に任命され、初入閣を果たした。
しかし、2003年に大韓民国の日本大使館前で行われた反日デモに参加していた問題や、国際テロ捜査に関する文書流出問題、北朝鮮が韓国延坪島へ砲撃(詳細は延坪島砲撃事件参照)した際に即日警察庁へ登庁しなかった責任を問われ、菅再改造内閣では再任されず、半年弱で退任した。2011年1月、民主党副代表に就任。併せて、党中央代表選挙管理委員長に就任。

2013年7月21日に行われた第23回参議院議員通常選挙に出馬するも、215,105票でみんなの党から出馬した和田政宗に5000票余り及ばず3位となり落選した。