2014年9月30日火曜日

父の満州での軍隊生活 (6)

父は甲種幹部候補生を命ぜられ歩兵科機関銃中隊編成定員外となって奉天甲種幹部候補生隊へ入隊して無事に卒業して歩兵科見習士官となった。その後、少尉から中尉となり終戦(昭和20年8月)にポツダム大尉となり昭和21年3月に博多に上陸し復員した。
 
歩兵科の所属は歩兵砲中隊や機関銃中隊に所属していたようだ。途中で温厚な性格と徴兵された将校だったためか「旅順関東軍下士官候補者区隊長」にもなっていた。たぶん教育隊であろう。

父の写真の中には軍事訓練の写真がたくさんある。ただ厳しい野戦訓練ばかりをやっていてもやる気がおこらないのであろうか訓練と称して満州各地の名所などの観光もしっかり取り入れている。もちろん兵隊さんが日本の家族に送る記念撮影もしていた。

軍隊といえどもやる気を出させあきさせない企画というのが大切なのだろう。今でも会社の研修旅行で全国の工場、事業所を訪れたついでにさらりと観光見物して記念撮影をしてくれたりした。

観光地は勝利した日露戦争の戦跡をめぐるのが一般的なようだ。
トップの写真はお墓なのだろうか、ピラミッドのような建造物である。
両側の空が不自然であり場所を特定されないように修正されている可能性があるとの指摘もあった。

「水師営の会見」の場所となった旅順の水師営会見所小グループに分かれての記念撮影。軍刀を持っているのが父。

(日露戦争中の1905年1月15日に、旅順軍港攻防戦の停戦条約が締結された。日本代表は第三軍司令官・乃木希典大将、ロシア代表は旅順要塞司令官・アナトーリイ・ステッセリ中将

モスク?、寺院のようである。

厳しい軍事訓練の合間にちょっとした観光見物をしたりする息抜きは現代社会でも大切である。










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