不良華族事件(ダンスホール事件) 痴情地獄
不良華族事件の第一報を報じた東京朝日新聞(1933年11月15日付)
不良華族事件(ふりょうかぞくじけん)とは1933年(昭和8年)に発覚した華族の恋愛・不倫事件。ダンスホール事件とも呼ばれる。これは上流社会に属する女性らが関わる性的なスキャンダルとして主要新聞に報じられ、登場人物には伯爵夫人や大病院の院長夫人なども含まれていた。
この事件は1933年(昭和8年)11月13日に赤坂溜池町で開業していた東京屈指の豪華な内装を誇るフロリダダンスホールの主任教師が警視庁に検挙されたことに始まった。東京朝日新聞(現在の朝日新聞東京本社)は同年11月15日付の朝刊でこの事件を報じた。
朝刊が報じるところによると、主任教師は「日本一の好男子」と自称して女優やダンサー、良家の娘、有閑マダムなど多くの女性と関係を持っていた。
警視庁の取り調べの中で主任教師は自分に女性客を紹介したのは歌人の伯爵吉井勇の妻・徳子であることを自供した。
徳子の遊び仲間としては歌人斎藤茂吉の妻・輝子や近藤廉平男爵の次男・廉治とその妻・泰子などがおり、木戸幸一の『木戸日記』(1933年(昭和8年)11月22日)には宮内省警衛局皇宮警察部が宮内省宗秩寮総裁の木戸に対して調査報告を行った記述があり、その報告によれば徳子は1931年(昭和6年)8月中旬より近藤廉治と関係を持っていた。
なお、名曲「ゴンドラの唄」の歌詞は吉井勇によって作詞された。1915年(大正4年)、芸術座で上演されたツルネーゲフ原作「その前夜」の劇中歌として松井須磨子によって歌われた。
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