帝国陸軍の歩兵大隊には歩兵砲隊や機関銃中隊などがあり父もこれらの部隊に所属したこともあったようだ。歩兵の野戦訓練では戦車、歩兵砲、重機関銃などを用いて総合的な訓練が行われておりその写真も残っていた。
九二式重機関銃がある写真を探したがなぜか見つからなかった。今回は歩兵砲を取り上げたい。父は奉天甲種幹部候補生隊へ入隊して歩兵砲隊に編入したようである。
九二式歩兵砲は、大日本帝国陸軍の歩兵砲で終戦までに約3000門製造されたらしい。1個歩兵大隊に対し本砲2門を擁する大隊砲小隊が付随するために「大隊砲(大隊歩兵砲)」の通称がある。(砲口径70mm、砲身長790mm、砲重量204kg、最大射程距離2,800m)
写真の歩兵砲は一枚物鋼鈑製の車輪。
あまり命中精度が良くないので通称「大隊砲」を「だいたい(大体)砲」といったらしい。おおよそ当たるという意味か。
今見ればおもちゃのような歩兵砲であるが砲本体は204kgもある。移動時は駄馬1頭で牽引するか、歩兵10人で分解して担いで移動することも可能だったそうである。もちろん戦場まではトラック等に載せて移動するのであろう。
写真では歩兵砲を6人がかりで草原を引っ張って移動している。弾丸は別途運搬する必要がある。
写真は九二式歩兵砲の砲弾であるが、「弾薬は5発入りの弾薬箱に収められ重量は30kgあり、兵士1人が1箱を担いで運ぶか駄馬1頭で4箱を運んだ」とある。兵隊さんが30kgの弾薬箱を背負って行っても5発しか撃てないとは!20名の歩兵が弾薬箱を運んでやっと100発歩兵砲が撃てるわけだ。
九二式重機関銃だって一分間に何百発撃てるといっても実際には長期間連続しては射撃できないと思う。銃弾をすべて人力で担いで銃座まで持ってくるところがボトルネックになってしまうだろう。
現代は農業、工場、サービス業などあらゆる分野が機械化、コンピュータ化されていることを思うと昔は戦争を含めすべて人に頼っていたんだなあと実感した。もちろん米軍の歩兵は機械化されていたのだろう。
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