父は甲種幹部候補生を命ぜられ歩兵科機関銃中隊編成定員外となって奉天甲種幹部候補生隊へ入隊して無事に卒業して歩兵科見習士官となった。その後、少尉から中尉となり終戦(昭和20年8月)にポツダム大尉となり昭和21年3月に博多に上陸し復員した。
歩兵科の所属は歩兵砲中隊や機関銃中隊に所属していたようだ。途中で温厚な性格と徴兵された将校だったためか「旅順関東軍下士官候補者区隊長」にもなっていた。たぶん教育隊であろう。
父の写真の中には軍事訓練の写真がたくさんある。ただ厳しい野戦訓練ばかりをやっていてもやる気がおこらないのであろうか訓練と称して満州各地の名所などの観光もしっかり取り入れている。もちろん兵隊さんが日本の家族に送る記念撮影もしていた。
軍隊といえどもやる気を出させあきさせない企画というのが大切なのだろう。今でも会社の研修旅行で全国の工場、事業所を訪れたついでにさらりと観光見物して記念撮影をしてくれたりした。
観光地は勝利した日露戦争の戦跡をめぐるのが一般的なようだ。
トップの写真はお墓なのだろうか、ピラミッドのような建造物である。
両側の空が不自然であり場所を特定されないように修正されている可能性があるとの指摘もあった。